教育者が陥りがちな罠
こんにちは!!
修造です🔥
なぜ私がこのブログを書いているのか?
それは教育が
気をつけなければ
教える人を成長させるどころか
逆にドン底へ突き落としてしまうからだ。
なぜ私がこう思うのか?
それは実体験に
基づいた経験があるからだ。
高校の時だった。
私は高校の先生が
死ぬほど嫌いだった。
何も先生方を
否定しているわけではないので、
そこは勘違いしないでいただきたい。
高校の先生が嫌いな理由は
偉そうで横暴だったからである。
具体的に言えば
小テストを間違えると
先生に正座させられたり
手をつねられたりした。
私は理系科目が特に苦手であったため
授業が全然わからなくて、
ずっと授業中は立たされて
教師から集中的にバカにされるという
拷問という名のパワハラを受けていた。
そのせいでクラスでは
学校を休む人が急激に増えた。
私もその1人であった。
・人と話すのが怖くなった。
・自分は負け犬だと自分を責めた。
・勉強が手につかなくなった。
などなど
色々と苦しんだ。
この経験から私は
教育について深く考えるようになった。
特に深く考えたことを2つ紹介する。
(ほとんはもっとあるが、長くなるため😅)
1つ目は
「教育とは
相手の知らない世界を与え、
視野を広げる手伝いを
することである」
ということである。
「知らないことを知ること」
それは人生を楽しむ上で大切だということ。
例えば、
知識が浅い人と深い人とでは
どうだろうか?
知識が深い人の方が
沢山の話を
面白いと思うことが
できるだろう。
沢山のことを知り
沢山のことを考えてきた人は
沢山の人の悩みを
解決できる人になれる。
つまり
教育によって
人生は豊かになるのだ。
2つ目は
「みんな教育者である」
ということだ。
私は
高校生の時に大人に言われて
嫌だったことがある。
学校を休みがちになった時に
先生に言われた。
「世間に出たら
辛いことはいっぱいあるんだよ。
辛いのはお前だけじゃないんだぞ!!」
まあもちろん、
当時高校生だった私は
働いたことがないため、
世間のことは知らない。
だが
私は問う。
あなたは
世間のことを
全て理解しているのでしょうか?
世間とは一般的に
社会人が働いている世の中のことを言うが、
それって本当にそうなのかな?
と私は思う。
子どもだけで成り立ってる世の中
なんてない。
そこに大人が入ってる以上、
そこも世間と考えるべきではないかと思う。
3年1組での世間(文化)があれば
隣の3年2組の世間(文化)もある。
もっと言えば、
個人の世間(文化)もある。
ということを考えれば
みんな世間知らずである。
だから教育者は
自分が教えていると
思ってはいけない
と私は思う。
自分が知っていることがあれば、
逆に知らないこともある。
知識だけじゃなくて
考えや視点なども
常に学び続ける必要がある。
こう考えることが
フラットな立場で接することに繋がり、
お互いにいい学びになるのでは
ないだろうか?
ここまで色々書いてきたが、
私が1番言いたいのは
次のことである。
1人で考えられることって
たかがしれてる
ってことである。
このことから
自分の教育が正しいなんて思ってる人は
本当にいい教育ができない
と思っている。
だから
教育について
みんなで考えたい
てことで、
教育について考えるイベントを
やります‼️
場所は博多です。
沢山のご参加を
お待ちしております。
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最後まで読んでいただき、
ありがとうございました😊